環境と都市景観

最近の都市景観からは有機質のものが消えている様に感じます。

有機質風のものは多いのですが、直視してみると実はそれはプラスチックやアルミ素材で作られた模倣品である場合が殆どです。
一見、『自然風でいいではないか?』などとと思う人がいても不思議ではないと思います。

この素材、触ってみると明らかに有機質ではないのに、見た目では認識しずらいものもあり、温かさ、ざらつき感、優しい硬さがなどに包容感が得られず、それは触れてみて有機質ではないことを確信します。

都市景観を作る役割を請け負う人として、その主流はランドスケープ・アーキテクトの時代がありました。
日本語では景観設計士となるのでしょうか。
1980年代、これらの人々は環境を合言葉に都市景観、緑化と活動の幅を広げ活躍していました。
光化学スモッグや水質汚濁の時代が終わり、環境といえば緑化のことなのかとも想像させる時代だったのです。
(少し遡る1970年代の「環境」はアンチ公害だったように思います。この公害とは光化学スモッグ、水質汚濁などの致命的な内容です。)

前後しますが、1990年代はというと自然との共生なんてことが思い出されます。
2000年代は倹約が環境保全に近いとする考え方。
2010年代は世界ではサスティナビリティー運動の萌芽があります。
日本では経済縮小が環境保全の方向性と捉えられました。
2020年代には日本にも本格的なサスティナビリティーの精神が見出せるようになってきました。
多くの人が語るこの考え方の根本原理は欧州からの輸入であるのですが…。

話を主題に戻すと、都市景観の話をします。
最近、あれだけ環境の中心にいたと思われランドスケープアーキテクトたちは何処に行ったのかまったく音沙汰ありません。
理念を語ることがありません。
ポリシーが異なっていたのかとも思わせます。

実は2000年代〜2010年代の都市景観の立役者は実は建築設計者に移ってしまっていました。
ランドスケープアーキテクチャーではありませんでした。
都市開発において、エリア的設計も含め全て建築設計の範疇であったのです。
本来のエリア設計はランドスケープアーキテクチャーが行うというのが理屈に適っているのですが、商業的発展を遂げられなかったランドスケープ部門は建築設計の後塵を拝してしまったのです。
何故そうなったのでしょうか?

大きな理由は、ランドスケープアーキテクチャーにしっかりした経済発展的なポリシーがなかったことだと考えられます。
(経済とは社会と同義とも言えるのですが。)
そのため社会から認められなかったのです。
現在でもきちんとした理念を持っているランドスケープアーキテクチャーの話は聞こえてきません。
これには彼らの業務について、業界全体が行政業務を主体として行なっていることに原因があると考えられます。
行政のシステムとして、如何に行政機関として日々の業務がスムーズに進むかということに重きを置いて業務を遂行していること、それが生きてく上で最重要なことであったのです。
一方、建築設計は商業ベースの設計を行うことが多い様に見えます。
商業ベースとは経済発展型の理念を持っています。
商業の発展理念は各時代において同一ではありません。
変化を捉え、ものを言いイノベーションしていくポリシーがあります。
上手くいかなければ捨てられる。
生き残っていくには高度に発展する必要があるのです。
そして建築設計は高度に発展しました。

ランドスケープアーキテクチャーの問題点を更にもう一つ上げると、設計業務自体がコンサルタント化していて責任を受け持たない受注形態をとっていることが関係しています。
結果について注目してみると、商業設計ならば経済的効果がなけらば捨てられるので、
設計不備があれば修正を試みるし責任もとります。
景観設計は設計を終えればお金をもらっておしまいなのです。
主体的に責任を取ろうとする当事者も居ますが、業務として認められいないし、報酬もないので力を発揮することができません。
その結果評価が下がってしまうのです。

いま、都市景観は無機質になっています。
この都市景観を改善するのは建築設計、景観設計とは異なる第三の設計士が必要になるように考えています。

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