森林と連携した都市ManagementのModel

森林とSDGs

SDGsを引用して行動目標を理解したとして、具体的行動とはいったいどのようなことでしょうか?

「森林が大事だから守らなければならない」

「住み続けられる都市をつくらなければならない」

環境に配慮した行動。
都市を住みやすくする行動。

さまざまな改善しなければならない問題が山積しています。

さて、一体どうすればいいのか?

”咲いてく”ではモデルとして森林を起点に行動を行なっています。

◾︎ 住み続けられる都市をつくるには森林の効果が欠かせません。
CO2の吸収、素材としての森林資源、再生エネルギーとしてのバイオマスの生産などは一般的によく知られていることです。

その他にも、気候安定化の効果、生物多様性の確保、水源の涵養地、雨水流出安定、土砂流出災害防止、人の保養効果など揚げるときりがないくらいです。

森林がなければ都市は存在できません。

森林には天然林と人工林があります。
天然林は人の手を必要としない森林です。
一方、人工林は主に都市づくりの材料を算出するために改造された森林です。
人と自然の効果が助け合うことにより機能する森林です。
この機能を維持し、地球環境改善に役立てるためには人が森に働き続けなければなりません。
社会が森林に効果的に働きかけるためには経済活動としての林業が必要です。
林業が都市経済に連携をとるためには、もう一度森林の産物を経済にのせる必要があります。

”咲いてく”は持続可能な森林と都市のあり方のモデルとして、森林の資源で都市景観をつくる資材を供給しています。

これらの製品は都市で使用されることにより森との連携を取ることができるのです。

ボードウォーク

木製の床板というものがあります。
身近なものといえばベランダに木製の床板を設置したものです。

直射日光の紫外線の影響を強く受けます。
人が上を歩くことによる摩耗を受けます。
降雨や湿気による吸水と、その後の直射日光による急速な乾燥によってひび割れやささくれが生じます。
これらに生物的な腐食作用が加わり、上記による傷を中心に風化を早めます。

設置者、設計者、管理者はこれらを阻止すべく対策を立てます。

対策の壁になって居るのはいつも経済的問題です。
何しろ、できる限り安価に仕上げなければならないからです。
安さへの指向性は止め処なく、まるで逆止の鞘がついているようで一方通行です。

公共の空間には大規模なボードウォークが設置されています。
多くは開発事業で使われ、東京はお台場、神奈川県ではみなとみらいなどで見られます。
これらは20年以上前に設置されたものです。

ボードウォークは歩くと気持ちのいいものです。
直射日光を浴びたアスファルトの上を歩くのは辛いものですが、ボードウォークの上を歩くことは心地の良いものです。

だからと言ってボードウォークに問題がないわけではありません。
前述のボードウォークは熱帯雨林の伐採と引き換えに得られたものです。
ブラジルのアマゾン由来の素材です。

伐採の目的は材料を捕ることを主たる目的としているとは限りません。
開拓して農地を広げるために行われてきた行為も含まれます。
この場合、副産の木材は森林破壊の資金源となります。
斯くして伐採された地域の熱帯雨林は壊滅しました。

2019年のアマゾン火災の大規模延焼は開発が原因です。

日本には木材がないわけではありません。
日本人が日本の木材を使わないのは価格が高い事が原因の一つになっています。
日本の経済レベルは高い位置にありますので日本で生産される産物は高くつきます。
当たり前のことです。

しかし、日本の森林は持続の可能性を秘めた資源です。
循環生産を行う仕組みが整っているし、使うことによって国内の経済が活性化して成長します。
一つの社会内部において、自分だけが外から安価に得たいという行為は、その社会が周りの社会よりも沈下する分、社会の衰退が自らに帰ってきます。

また、日本の森林素材は耐久年数が低いのが問題だという意見もあります。
これは適した箇所に適した素材を使っていないことがそういう認識を招いています。

室内で良い空間を作る樹種とそうでない樹種、
屋外で耐久性を発揮する樹種とそうでない樹種があります。

木材生産者、ハウスメーカー、大工、家具屋、行政や施主を顧みても、これらをきちんと選択して使っている人に出会ったことはありません。

素材の継時的な観察と研究、学びと経験値の積み重ねが必要です。

持続可能な都市を作るためには、多くの恵沢を得ている里山の森林を守る必要があります。

そのためには都市者の責任として経済の波及を森林に及ぼす必要があります。

都市(まち)の中 樹と人々

わがまち札幌は本州の都市に比べたら新しい。
開拓が明治からなので、都市開発をした歴史はここ200年ほどだ。
人の目から見れば開発に次ぐ開発。
自然と調和しながら生きてきた先住のアイヌの人々が暮らす楽園を切り開き、
人間優先の都市づくりに少しでも邪魔になる樹木はとにかく切り倒された。
強大な自然は勝手に繁茂するものであり、開拓者はその自然との戦いに勝ったように表現される。

そして今、我々が居る。

北海道では現在でも大木を切り倒す習慣が続いている。
文化となってしまっているのだ。

札幌は東京から移り住む人が多い。
特に自然志向そして文化的な人たちの割合が高い。
住み心地の良い楽園のように思うバイアスが働くのだそうだ。

住み始めて気づくようで、
緑が少なくてがっかりした。東京よりも緑が少ない。
という。

札幌の緑化率は非常に低く、40年ほど前から問題になっていた。
全国の都市でワーストNo1であったこともあった。
現在は知らないが数年前はワーストNo1かワーストN02であった。

住んで居る私たちが思っているバイアスも「札幌は緑豊かだ」ということだった。
現在も多くの市民がそう思っている。

南西部に山が迫り、景観上の緑は多い。
視覚上の緑、そのことに錯覚してしまっている。
しかし、都市の中には緑が少ない。

現在も伝統の市民感情は変わっていない。
「邪魔なら切ってしまえ」

赤ん坊を抱いた夫婦を見た。
芝生と小綺麗にされたアスファルトの上に、新しい車が光る。
幸せを感じているようであった。

子供が成人を迎える日が今と同じ環境だと疑いはしないだろう。
というよりも、そんなことは考えたこともないだろう。
そして想像しない。

我々都市の者は未来を想像した方がよいだろう。