フラワーベッド・ベースの開発

フラワーベッド・ベースの開発は、
『景観を良くすることを目的に作られた景観製品』が、
場合によっては景観を侵していることに違和を感じたことから始まった。

筆者は以前景観メーカーで景観製品の販売を行っていた。
その中で、会社ではOEMの既製品としてFRPプランターを扱っていた。
この種のプランターは様々なメーカーが作っており、行政が大量に導入していた。
製品は新旧様々に公園や通りに設置されていた。
しかし、綺麗なものとそうでないものの差が著しく、酷いものは破損して内部の木の骨材が露出しているものさえあり、見苦しい状態であった。
これについて調べてみると、綺麗なものはここ2年以内に納入したもので体裁を保っているだが、そうでないものは3年以上の年月が経っているということが分かった。 割れたりしているものは一概に年数ということはないが、ぶつけたりして角が欠けていたり、土の入れ過ぎによる膨らみが発生したところに衝撃が加わって割れた形跡が見受けられた。
これでも土を入れて花々を植えるという目的は達成しているので、プランターとしての機能は果たせているという考え方なのか継続して使用されていた。

当時、景観製品の耐用年数に約束事は特になかったが、いろいろと聞いてみると10年持てば良いという暗黙の認識があった。
このプランターは何年の耐久性で製作されているのかと疑問に感じていた。

そこに業務で行政の顧客からまとまった量のプランターの引き合いが来た。
契約を前に見積書などを出すのだが、その時点で確認されたことがあった。
『いったいこのプランターは何年の耐用年数で作られているのですか?』
その時、私が聞かれたくないもっともらしい質問で、相手も見透かしているかのように聞いてきた。

返答につまずき、答えを持ち帰ることにした。
社内で先輩社員や上司に相談し、OEM元の製造工場に聞いてみた。
1週間待った後、答えは『3年くらいで交換してもらわないとこっちも商売にならない』というものであった。
言い訳に聞こえるが一応それが答えとして理解できた。

違う製品を用意する必要があると考え始めた。

日本の森林資源を比べてみる

プランター、大型、SITEC

日本の林業が産する樹種は様々である。
先日、ある屋外用道具についての会話を聞いた。
「これを木材で作るとしたらどのくらい持つだろうか?」顧客の問いである。
作り手は次のように応えたというのだ。
「3年くらいでしょうね。」
作るものと、使われ方が分からないが、3年という答えである。
これを答えたのが知り合いの家具屋さんだ。
そうなのだ、「屋外で使う木製品は3年」というのが一般的なのだ。
そして この概念は間違っているのだ。

木材というのは広い範囲で使われている。
例えば、
土木工事などでは目印としての杭や梁。現場では杭、垂木などと呼ばれ荒削りで使い捨ての材料だ。
北海道では生の松材が使われる。トドマツ材が主だ。
しかも防腐剤の使用や塗装処理などはしていない。
これを屋外で使用すると3年というのは妥当である。

しかし、もっと長く使えるものもある。
ヒノキ材で作られたベンチは10年以上の耐久性がある。
ベンチに関しては、マツ材でつくることが安価であることから、コスト重視の市場では多く見受けられる。
これも3年から5年というのが当たってる。

SITECが最初に作ったマツ材のプランターの耐久年数はやはり3年くらいだった。
プランターは湿気と土に接するので菌が大活躍する環境下にある。
工夫と改良を繰り返し使用の実践を行い、また改良するという年月を経た。
マツ材の限界は多くの工夫をすれば7年ほど持たせられるものもあることがわかった。
市場が求める耐久資材の耐用年数は10年であることを得ていた。
これをクリアするためには素材を変えなければならないことがあった。
ここで使ったのがヒノキアスナロ材だ。
当然、ヒノキアスナロ材で製品を作り使用実験をしてみる。
加工している時点でマツ材とは異なることは肌で感じた。
土を入れて植栽をしてみる。
年数を重ねて10年は持つことが分かった。

これらの経過から得られたことは、
屋外で使用する木材の耐久年数は、3つの要素による。
⑴.素材
トドマツ、アカマツ、カラマツ、スギ、マキ、ヒノキ、ヒノキアスナロなど。

⑵.設計
水湿を避け、濡れても素早く乾燥する構造であるか。
割れが発生しない構造としているか。
痩せても崩れない構造であるか。
保守が可能な構造であるか。

⑶.使い方
大事に使う工夫があるか。
木材だから使い捨てだという感覚で使用していないか。
使用する年数を意図し、調達から廃棄までのマネジメントがあるか。

屋外で使用する木製品はマネジメントにより10年以上持たせることが可能なのだ。

有機性物質としての木質

木製 プランター SITEC

木質が時代から淘汰されてきた頃、私もいつか木質に変わる素材が開発されると考えた。
その時代に使用されていた木質素材はそれまでの過渡にあると、新素材に期待を膨らませていた。
ところが最近になって思うことは、木質に変わる素材への期待はそれよりももっと以前から、かなり前からあったのではないかと考えるのだ。
70年代の車のダッシュボードは木質でもないのに木質らしいプリントが施されていた。
木質への憧れは本物を使う問題を検討した結果として偽物を使用した。
プリント木質を使う理由は高級感を醸し出すためであったという車マニアの分析もある。
なるほどそのような車は高級車であった。
そこまでする木質への崇高な想いだけはあったのだ。

と古い時代の慣例を思い出す。
しかし、逆さまに現代を省みるとプリントした木質はありとあらゆるところにある。
現代こそ木質を求めるところに素材がない。
木質を求める消費者に木質が行き渡らない。
事業者はこれは木質に変わる素材だよとばかりにプラスチックを木質に見せた製品を出してくる。
この木質まがいのものは木質の感覚を満足できてない。
食料は99%が有機性のものであり、生命体の働きを借りずに人間がそのタンパク質を合成することには成功していない。
偽木質も同じように人間が満足するような感覚を出すことは難しいだろう。

しかし、本物の木質は消費者が求めれば手に入るのだ。