日本の森林資源を比べてみる

プランター、大型、SITEC

日本の林業が産する樹種は様々である。
先日、ある屋外用道具についての会話を聞いた。
「これを木材で作るとしたらどのくらい持つだろうか?」顧客の問いである。
作り手は次のように応えたというのだ。
「3年くらいでしょうね。」
作るものと、使われ方が分からないが、3年という答えである。
これを答えたのが知り合いの家具屋さんだ。
そうなのだ、「屋外で使う木製品は3年」というのが一般的なのだ。
そして この概念は間違っているのだ。

木材というのは広い範囲で使われている。
例えば、
土木工事などでは目印としての杭や梁。現場では杭、垂木などと呼ばれ荒削りで使い捨ての材料だ。
北海道では生の松材が使われる。トドマツ材が主だ。
しかも防腐剤の使用や塗装処理などはしていない。
これを屋外で使用すると3年というのは妥当である。

しかし、もっと長く使えるものもある。
ヒノキ材で作られたベンチは10年以上の耐久性がある。
ベンチに関しては、マツ材でつくることが安価であることから、コスト重視の市場では多く見受けられる。
これも3年から5年というのが当たってる。

SITECが最初に作ったマツ材のプランターの耐久年数はやはり3年くらいだった。
プランターは湿気と土に接するので菌が大活躍する環境下にある。
工夫と改良を繰り返し使用の実践を行い、また改良するという年月を経た。
マツ材の限界は多くの工夫をすれば7年ほど持たせられるものもあることがわかった。
市場が求める耐久資材の耐用年数は10年であることを得ていた。
これをクリアするためには素材を変えなければならないことがあった。
ここで使ったのがヒノキアスナロ材だ。
当然、ヒノキアスナロ材で製品を作り使用実験をしてみる。
加工している時点でマツ材とは異なることは肌で感じた。
土を入れて植栽をしてみる。
年数を重ねて10年は持つことが分かった。

これらの経過から得られたことは、
屋外で使用する木材の耐久年数は、3つの要素による。
⑴.素材
トドマツ、アカマツ、カラマツ、スギ、マキ、ヒノキ、ヒノキアスナロなど。

⑵.設計
水湿を避け、濡れても素早く乾燥する構造であるか。
割れが発生しない構造としているか。
痩せても崩れない構造であるか。
保守が可能な構造であるか。

⑶.使い方
大事に使う工夫があるか。
木材だから使い捨てだという感覚で使用していないか。
使用する年数を意図し、調達から廃棄までのマネジメントがあるか。

屋外で使用する木製品はマネジメントにより10年以上持たせることが可能なのだ。

熱を溜め込む都市

地球ビオトープと都市マネジメント

最近暑い日々が続いています。
温暖化のせいだという意見が大半です。
しかし、温暖化の影響を排除しても夏場の都市は快適とは言えません。
アスファルトとコンクリートに覆われた都市施設は直射日光の熱を溜め込みやすいのです。
都市ではない自然界の地面ではそのほとんどがバイオマスが覆っています。
バイオマスとは生物が生命活動により生産した産物の全てのことを言います。
生物が生産したもの、微生物が分解したものなどが大量に土中に含まれています。
その混合物には多くの水を含むことができます。
雨の日には水を吸収します。
晴れの日にはそれを蒸発させ、気化により地温を下げます。
更に、そこに植物が生えると蒸散により気温を調整する作用を増進させます。
植物体が生えると日陰ができて直射日光が地面に到達することを防ぐ効果も大きく作用します。
これだけのファクターを想像すると都市空間の熱の仕組みは非常にネガティブなことが分かります。

一部で新たな方針が見えるものの、私たちの生活はアスファルトを増やし、植物体を減らすポリシーは依然変わっていません。
自然との調和が都市には求められます。

木質に変わるもの

プランター植栽見本

「木質にとって代わる素材が求められている」という人がいる。

私も過去はそのように考えていたひとりだ。

木質は限りなく生産されている。
それは私たちが呼吸をしているのと同じく樹木も生きて代謝をしているということである。
その副産物が木質で、それは生命の遺体そのものなのだ。
それらの塊が一般にバイオマスと言われる生命副産物として地表を覆う堆肥であり、腐食連鎖により更なる生命を育み、そして動植物の食物連鎖の礎になるのです。
その動物の排泄物や遺体は再び植物の養分として植物体に吸収され、植物代謝により酸素を合成し、環境を整えて繰り返して木質を育む。

この流れがあって木質の代わりに何が必要なのだろうか?

木質は腐るからいけないという人がいる。
すべてのものは風化する。
要はどれくらいの程度で長く使えるかということである。
どのくらい使い続けられることが求められるのかとその人に聞いてみる。

「ずっと」という応えが返ってくる。

私たちは、直感でずっとと答えてしまうことがある。
しかし、永遠などあり得ない。
私たちはいつかこの世を去る。
それを避けることはできない。
それが嫌だと言っても始まらない。

理性のある人の答えは考えた末、
「10年」と答える。
ほとんどの人が「10年」という。
ほとんどの所有物に「10年」との願望を持つ。

自らの人生とその区分の時間を考えた末、感覚と経験とそして未来を鑑みてその時間を割り出している。

それで、10年以上この地上にも残るものは不要であり、ゴミとなって末の世を汚す。

建物などの耐久物は10年とはいわない。
30年、50年それ以上もある。
しかし、忘れてならないのは永遠には残ってはならないのだ。

最近、プラスチックの廃棄物が地球を汚す原因となっている。
それでもプラスチック製品は増え続ける。
その廃棄物は再生されずに最終処分場に送られて埋め立てられるのだ。
製造業者は言う「プラスチックは再生して使われるからエコだ!!」
結局は学びを行なっていないのだ。

いま、社会を動かしている人間は「逃げ切り世代」と言われる。
この先の未来は環境破壊が進み人々が住みにくくなるが、自分たちはこの世から去っている。
「次の世は君たち若い世代が頑張ってくれ」といいながら世の中の資源を浪費し、自然を壊し、エネルギーを使い、その対価を抱えきれないほどの財産としてこの世を去る。

「シニア」という言葉がある。
日本ではもっぱら「じいさん、ばあさん」の意味が強い。
多くの場合、企業が庶民に対して使う「シニア」はある意味愚弄にしている。

本来のシニアは経験を積み、物事を熟知した上で判断し行動する人をいうのだ。
当然若いシニアもいておかしくない。
私たちは卑怯な逃げ切り世代に成り果てず、後の地球を守るポリシーを持って、行動できるシニアになりたい。