景観のアイデンティティーについて

アイデンティティーは自己同一性と訳されているようです。

自己同一性とは心理学的で、一般的にはあまり使われないwordで直感的にピンとこないと思います。

私は長年景観に関する仕事をしてきたのでこの言葉はけっこう気にしてきました。

街のアイデンティティーは「個人の」ということにはなりません。

街は個人が作る訳ではなく、そこに住む複数の人々が作ることになります。

とはいってもやはり一つひとつの個人の営みが要素になる訳ですが。

ひと昔前、景観に関してのアイデンティティーづくりを行政が行ってきたことがあります。現在も継続しているのかわかりませんが。

これにはなかなか難しいものがあります。

本来、個人の集合としての景観である筈なのです。

しかし、それを行政がひっくるめて”作る”わけで、そこにはもはや”個”が存在しません。

アイデンティティーは自己同一性とすると、誰が振り返る自己なのか分かりません。

私はこう思うのです。

自由なガーデニングが景観づくりを構成する要素となるならば、自己同一性は成り立ってくるかもしれません。

その街らしいガーデナーが活躍して欲しいですね。

SITEC

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