日本の寓話に百年寝太郎というのがある。
ろくすっぽ仕事もしないで寝てばかりの人のおはなしだ。
普通に考えて、100年は生きていた筈はないと考える。
あまりにも長い間 寝ていたことから大げさに100年としたのだろう。
こういう数字の使い方は日本人の洒落だ。
九十九里浜、千人浜など大げさな地名で表現する。
植物では千日紅、百日草など。
千年桜、千年杉なども怪しい。(本物もある)
さて、おそらく太郎は寝てばかりいたというよりも引きこもりだったのだろうと思う。
語弊があってはいけないので、ここでは憶測で書くと一応お断りしておく。
一般的に人々は日常のあれやこれやに押し迫られて、物事を考えて行動する余裕すらなくなりがちだ。
どのようにしたら豊かになれるのかをじっくり考えもせず、日常を優先させて本質を忘れる。
太郎はそんな社会の人々を客観的に見ていたのだろう。
元来は太郎も社会に出ていた若者だったと思う。
しかし、何かの拍子に引き篭った。
引き籠ってしまったとは言わない。
これも一つの多様性だ。
植物の種を播種すると、早く芽を出すやつと、まったく芽を出さないのもある。
早く芽を出すものは早く成長するのかと思いきや、日照りが続いて枯れてゆく。
日照りが終わり、雨が降ると暫くして殆どの種が芽を出す。ここに来て芽を出さない種もある。もともとダメな種か、或いは死んでいるのだろう。
芽を出した奴らはいいところまで成長した。もう大丈夫。いや、虫の群れが葉芽を食う。
壊滅だ。
長雨が続く。暫くすると、死んでいたと思われていた種の幾つかが芽を出してきた。
生きていたのだ。
地面は大量の水を吸収し、もう日照りが続いても乾燥しない。虫も去った。
植物にも種を持続させるための多様性があるのだ。
アリの世界では、休む暇もなく一生懸命に働く虫らばかりだと考えていた。
しかし、全く動かずじっとしている虫らも居るらしい。
自然現象の変化でアリの群れに危機が生じたとき、じっとしていた虫が動き出すという。
じっとしていた虫は危機管理班だったのだ。
その後、社会を俯瞰していた太郎は偉大な仕事を成して人々を救った。
環境変化によって自分の持っている力を発揮する人がいる。