持続可能性を追求する人類

アフリカに発生したバッタの大群は大陸を越え、インドに至ったとききます。
このバッタたち一体何の行動をしているのかというと、

彼らなりの持続可能性を探しているのです。

自分たちの種を増やして大発生する生物は全てそのようになっています。
私たち人間から見て、そこに未来の発展がない単なる「明日なき暴走」と思えるようなことでも種は挑戦します。
その繰り返しの中で、なんとか生き残る種と絶滅する種が分かれます。

全ての生物はDNAに持続可能性の追求が組み込まれています。
ここがAI(人工知能)と異なるところです。

AIが人に変わって地球を支配するという議論がありますが、現在のAIの考え方では不可能です。
現在のAIは持続可能性の行動を取ることができません。
だからそれを持つものに取って代わることはできないのです。

いま、地球上で持続可能性のポリシーを持ち、且つ知能により行動できる種は人類しか存在しません。

果たして、人類は持続可能な存在になりうるのでしょうか?

木材防腐剤の問題点

日本においては屋外で使用する樹木材料の防腐処理は当たり前になっています。
湿気が多い環境でカビによる腐蝕を阻止するためだということです。
しかし、防腐処理は生物の活動を化学薬品によって死滅させるものです。
このため、目的以外の生物や環境においても予測できない影響を与えてしまう可能性が排除できません。木材防腐剤の歴史は環境への悪影響に関する法律や世間の批判を回避するかたちで更新してきているのです。
その都度の真新しい説明を行いながらも、安全であるとは言い切りません。

木材の腐食防止には薬品を使わない方法もあります。
しかし、現在は都市社会の価値観ではこれは支持されません。

この先、私たちには地球の持続性を保ちながら木材を使用していくことが求められます。
木材の腐食についてもう少し理解を深めて利用することが求められます。
木材の腐食を阻止する方法について考えてみたいと思います。

木材はもともと分解しやすい素材ではありませんが、水、酸素、温度の3要素の程度によって腐食が進みます。
これらのどれかが欠ければ腐食は進行しません。

例えば、
水がない環境として、砂漠の中の木材を見てみましょう。
マルコポーロで有名なシルクロードに存在した都市”ローラン”は4世紀迄栄えていました。なんらかの気候変動によりその地帯から水がなくなり、やがて都市は衰退し人の住めない砂漠になったのです。
そのローランの遺跡には墓地があります。墓碑として木材を砂丘の上に突き刺しています。この遺跡は紀元前二世紀からのものです。
現在まで木材の墓碑が残っているのは砂漠によって木材の分解が阻止されてきたためです。

酸素のない環境としてはイタリアのベネチアが好例です。
ベネチアは河口の地盤の弱い環境に作られた都市です。
建物が沈まないように木の杭が水中に打ち立てられています。施工されたのは1400年も前のことだということです。現在もそれが機能しているのは水中とその下の泥の中は酸素が非常に希薄であるために木材が分解されないからなのです。

温度については年を通じて低温の環境では有機質は分解されにくくなります。
これは木質分解に関わる微生物が低温下では活動できないためです。
泥炭地を形成するような低温地帯では植物遺体が完全に分解されません。
もっと極端な例をとると永久凍土に埋まる生物遺体や木材は腐食せずに残っています。

これらのことを理解しながら、防腐剤に頼るのではなく、使用場所、使用方法を検討してものづくりの計画を進めていく必要があります。

除草剤

木々の緑も生え、ようやく春らしくなりました。
札幌もようやくグリーンシーズンの到来です。

グリーンシーズンを通して違和感がある殺風景な景色があります。
芝生の枯れ果てた残骸が残る土地にマツヨイグサが盛んに生えています。
マツヨイグサは外来種の草本類です。
除草剤を撒いた跡に見られる風景です。
もう2年もそんな風景が続いています。
除草剤の毒性が継続しているわけではないとは思いますが、一度 壊された草原はなかなか元には戻りません。

このような結果となり、除草剤を使った人は目指した目的を達成できたのだろうかと不思議に思ってしまいます。

この季節になると大量に売り出される除草剤。
ドラッグストアでも入り口近くに山積みに売られているのでたくさん売れるのでしょうね。

野の花や樹木を邪魔者扱いする都市、自然から情緒を得る日本人の心情は崩れてしまったのだろうかと思ってしまいます。