木材防腐剤の問題点

日本においては屋外で使用する樹木材料の防腐処理は当たり前になっています。
湿気が多い環境でカビによる腐蝕を阻止するためだということです。
しかし、防腐処理は生物の活動を化学薬品によって死滅させるものです。
このため、目的以外の生物や環境においても予測できない影響を与えてしまう可能性が排除できません。木材防腐剤の歴史は環境への悪影響に関する法律や世間の批判を回避するかたちで更新してきているのです。
その都度の真新しい説明を行いながらも、安全であるとは言い切りません。

木材の腐食防止には薬品を使わない方法もあります。
しかし、現在は都市社会の価値観ではこれは支持されません。

この先、私たちには地球の持続性を保ちながら木材を使用していくことが求められます。
木材の腐食についてもう少し理解を深めて利用することが求められます。
木材の腐食を阻止する方法について考えてみたいと思います。

木材はもともと分解しやすい素材ではありませんが、水、酸素、温度の3要素の程度によって腐食が進みます。
これらのどれかが欠ければ腐食は進行しません。

例えば、
水がない環境として、砂漠の中の木材を見てみましょう。
マルコポーロで有名なシルクロードに存在した都市”ローラン”は4世紀迄栄えていました。なんらかの気候変動によりその地帯から水がなくなり、やがて都市は衰退し人の住めない砂漠になったのです。
そのローランの遺跡には墓地があります。墓碑として木材を砂丘の上に突き刺しています。この遺跡は紀元前二世紀からのものです。
現在まで木材の墓碑が残っているのは砂漠によって木材の分解が阻止されてきたためです。

酸素のない環境としてはイタリアのベネチアが好例です。
ベネチアは河口の地盤の弱い環境に作られた都市です。
建物が沈まないように木の杭が水中に打ち立てられています。施工されたのは1400年も前のことだということです。現在もそれが機能しているのは水中とその下の泥の中は酸素が非常に希薄であるために木材が分解されないからなのです。

温度については年を通じて低温の環境では有機質は分解されにくくなります。
これは木質分解に関わる微生物が低温下では活動できないためです。
泥炭地を形成するような低温地帯では植物遺体が完全に分解されません。
もっと極端な例をとると永久凍土に埋まる生物遺体や木材は腐食せずに残っています。

これらのことを理解しながら、防腐剤に頼るのではなく、使用場所、使用方法を検討してものづくりの計画を進めていく必要があります。

コロナ禍 日本人の自慢の怖さ

コロナウイルスのニュースや情報が次々出てきています。
最近は減少の傾向にあり、諸外国に比べ日本は感染を防ぐことができたのは民力の力だと発言している大臣が批判を受けています。
しかし、この大自慢は大臣だけのことではありません。
多くの日本人が「日本だからできた」「日本人は生活習慣が素晴らしいからだ」「日本は清潔だからだ」など様々な自慢を抱いているのではないでしょうか?
でも、本当はどうして日本が欧米各国よりも感染が低いのかということの科学的な確信は得られていません。
だから本当の理由は見当違いのことであったりした場合、第二波、第三波…第N波が再来した時に適切な対応が出来ないという怖さがあると考えられます。
それはそうとして、今回の「怖さ」はそれとは異なる趣旨からの動機付けで書き始めます。

心理の部分です。
「日本人は、罰則のない呼びかけだけで外出の自粛や行動制限が出来たのだ。そのことが功を奏しコロナウイルスの爆発的拡大を押さえ込んだのだ。」
などの会話が湧き出てきたりしています。

しかし、呼びかけに対して自粛をしない企業や業界も存在していました。
呼びかけだけで自粛ができたという意見には語弊があります。
だからといって、私はその組織や人々を糾弾することはしたくありません。
憲法において犯罪を犯しているわけではないとさえ思っています。

では、その逆はどうでしょうか?
行政が、戒めとして、企業名を公表するという行為はどうでしょうか?
私はここの部分が非常に怪しいと感じてしまうのです。

先の自慢話で、「一致団結した日本の民衆は凄い」となる。
そうするとそれぞれの思想や都合で協力しなかった人たちは社会からどのように捉えられるのか?
その人本人はどのように感じるのだろうか?
「おれは俺だ」と一貫して自信を持ち続けられる人は心理的に強い人で問題はないでしょう。
「なんで自分は社会の大多数の行動に賛同できなかったのだろう?」と考えてしまわないだろうか?

多くの一般的な日本人は後者のように考えることがあります。

社会もその人を糾弾する。

ここで異なる事例に転換します。

戦時中、戦争反対の人が戦争に行かないという場合、憲兵により連行されたとか。

憲兵も怖いが、怖いのは社会だと思う。

徴集令状が届いた若者を集めて村が送り出したという。

母も家族も送り出しに参加する。

「行かない」と言えば家族も社会から辱めを受ける。

ここで本人には行かないとは言えない環境を作り出すのだ。

なんだか、現代日本の行政が行うことは戦時中と似ていないだろうか?

北海道産カラマツは100%植林樹

チューリップ 寄せ植え

北海道産の林産樹木の代表はエゾマツ、トドマツとカラマツです。

エゾマツは北海道の自生種の中でも大木になる松です。
日本の楽器の一大メーカーのピアノは伝統的にこの樹種で作られているそうです。
軽さ、狂いの少なさ、響きなどのバランスが良いのでしょう。
造林・育林により大切に守り続けられています。

★トドマツの製材は白身、軽さ、柔らかさで多くの場面で使われています。
素直な材質なので小径木からも製材することが出来るので割安に取引されています。

エゾマツ、トドマツとも屋外で使用する樹種ではありません。
材のカビに対する耐性が低く、濡れるところに使用すると耐久性が他の樹種よりも劣ります。
(※他の樹種とは日本の林産材、スギ、ヒノキ、ヒバ、カラマツ、アカマツ、など)
要は屋外で湿気に晒される箇所で長く使用する製品には向かない材質です。

★カラマツはやや赤み、重厚で硬く強靭な素材です。
多くの樹種の中でも非常に高い強度を発揮します。
タンニン分が多く、湿気にも耐性があります。
油脂分が多くヤニが出るのが難点です。
小径木は捻れの発生もあるので注意が必要です。

このカラマツ、長野県が全国一の生産量を誇ります。
第二の生産地が北海道ということになっています。
北海道にはもともとカラマツは自生していません。
明治初期、北海道の産業振興のために多くの有用樹種が植えられました。
その中で北海道の気候に合っていた樹種がカラマツだったということで植林されたのです。

造林初期から比較的若いカラマツの間伐材は捻れが多く、狂いによる弊害で評判がよくありませんでした。
このことからカラマツは性質が強く狂いやすいと言われるようになりました。
しかし、大径化した現在のカラマツは狂いが言われているほど多くはありません。
北海道のカラマツはもっと有効利用された方が良いでしょう。

地域材の利用は地産地消という考え方があります。
地方で産出したものは地方で消費しましょうという考え方です。
しかし、首都圏・大都市圏に対すつ地方が存在して均衡のバランスをとるということは、地方の産物は地方だけの消費ではなく都市圏の消費も考慮しなければならないということになるでしょう。
反対に、都市圏の経済は地方に波及しなければ都市基盤が成り立たちません。

日本の首都圏、都市圏の物資・食料の供給は海外に頼る以前に、日本の地方により賄われなければ首都圏・都市圏の概念さえひっくり返ってしまいます。

SDGsでは「作る責任、使う責任」という項目があります。
持続可能な社会を作るためには生産する者だけではなく、商品を選択する消費者の判断も重要になってきます。

消費者として、日本の地域材の利用を考えてみることも必要でしょう。